Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

陽気でも風は冷たくて

今日は休みなのでゆっくりさせてもらいました。これから久々にスーパー
銭湯でひとっ風呂浴びようかと考えています。

北海道に春が来たと実感できるのはタイヤ交換も終わり、悪路の心配が
減ってきたころかもしれません。それに伴って桜前線も北上してくる
わけなのでね。

去年の今頃は…。

就労継続移行支援に切り替えてから、1年が過ぎようとしていました。
俺は他人と比べて落ち込んでしまうのがやめられず、春に近づいても
苛立つ一方。

集団面接会に行っても内定にありつけない。
施設外実習ではいろいろな仕事を振られたりしてパニックに陥った。
自分の非力さを認めたくないからますますパソコン作業に没頭。

このような有様でした。

それでも、フツーの人が感じているような「春」を感じてみたい
というのが本音としてありました。俺の心には彼らと違って空しさ
の方が強く残っていました。

今は違います。歩みは遅くても陽の当たる方へと進んでいきたい。
その気持ちの方が強い。だからこそ、少しでもいいから一人暮らし
による生活を目指していきたいと思います。

去年の今頃の自分と今の自分はどこかで違う部分があると俺は
信じています。

今の自分は決して満足のいく人生を送っているわけではないが、
働きやすさでは申し分ない企業で働けているのも、福祉職員側の
尽力によるところが大きい。彼らの働きがないと、企業も通り
一辺倒の見方をしてお祈り文書を送ったかもしれない。

俺は発達障碍者だけに、人並み外れてムキになったり熱中したりしやすい。
それでも、俺の中にある「潜在能力」を信じて待ってくれた職員には
申し訳なくも思うし、お礼をいいたい。本当にありがとう。

発達障碍ギョーカイで言われる「エンパワメント」ってもんはどうも
しっくりこない。個々の「潜在能力」ってもんは、当事者のもつ問題解決
能力に直結すると考えた方が腑に落ちるんですよ。

このツイートのようなことをさもありなんと日々やってる職員は本当に
心強いし、こっちも真剣に向き合わないとって思い知らされるんです。
職員のみならず、周りに甘えすぎてる自分にもね。

そんな職員さんはむしろこちらの言い分はあまり否定しません。
即座に否定するときは自傷他害の恐れが見られた時くらいです。

彼らから教えられたのは自分と他人の問題を住み分けすることです。
これができないから、人との距離感が取れなくなるんだとも学び
ましたし。

職場では俺が一番下っ端ですが、多様化が進むにつれ障碍者雇用で入って
くる人も出てくるかもしれません。だからこそ、今一度かば島さんや
支援者たちの一言からわが身を振り返って次年度につなげていきたいです。

春はもうすぐ

北海道はまだ春らしい天気は来ませんが、ようやく雪も解け
自転車での往来ができるようになりました。

去年の暮れに入社して以来、心身ともに悲鳴を上げながらも
何とかしぶとく働いています。

仕事帰りにある職員さんのことが気になり、急いで施設に
向かいました。

その人は今日休みでしたが、特に苦楽を共にした職員さんの
一人に会うことができました。

職員の本音

最初は近況報告など平凡な話題でしたが、思い出話に進むと
職員さんが申し訳ない表情をしました。

「Issueさん、私の力不足で本当に申し訳ない」
「え、何がです?」
「あなたの能力は高い。だからこそ、私たちの力も至らなかった
と思ってるんだよね。その中であなたは本当によく頑張ったのでは
ないでしょうか」

この北海道は障碍者雇用で言えば、まだまだ未開拓と言わざるを
得ない。そこを悪しざまに責めて、施設側を貶めたところで、
俺が脚光を浴びるわけでもあるまいし。それで有名になったと
しても「迷惑PDD」として敬遠される上にネットなどでも
コテンパンに叩かれると思います。

昔の俺なら、今よりも意識がムダに高すぎたし、自分の言葉が
他人にどう響くかまで考えずに檄を飛ばしていました。
利用者なら「この野郎マジで殴ってやろうか」とさえ思ったかも
しれないし、職員なら怒りをかみ殺しつつ今できる仕事に集中
せざるを得なかっただろうと感じますね。

今の人生はそれほど満足しているわけでもありませんが、先般
述べたようなことに気づけただけでも意義はあったのではとも
考えています。人との出会いはやはり大きい。

これからの福祉施設に望むこと。

職員の異動は致し方ないにせよ、自己都合で辞める人が出てしまう
のは本当にさびしい。いち当事者として望むことをいくつか述べたいと
思います。

  • 職員の待遇を見直す

福祉職の育成機関があっても、肝心の雇用側が薄給激務でこき使う
上に、人員不足は東南アジアから引っ張ってくればいいなんて考える
のは、どう見ても「トチ狂ってる」としか思えない。

福祉関係の有資格者で何とか一人暮らしできるレベルになっても、
無資格者の職員は安すぎて当たり前というのはどうかと。

必要であればサビ管などを取らせるのもいいが、就労移行支援事業
などの場合は少し緩やかに考えてみるのはどうだろうか。
社会福祉士やPSWの有資格者だけで固めるのは生活支援施設くらいな
もので、就労を目指す場所なら就労支援に特化した資格やスキル、経験を
持っている人材の方がよくね?と思うわけで。

とにかく、給料安いからやめるという悲痛な叫びをガン無視してきた
雇用側はいい加減目を覚ませといいたい。

  • 利用者と卒業生の交流を考える

利用者からしてみれば卒業生に対して「なんでアイツが早々に就職
決まるんだ!」という嫉妬などを感じる場合もある。
また「あの人はもう俺たちと違う」という違和感を感じてしまう人もいる。

学校などであれば、卒業生に対してほかの来訪者とは違う気持ちを抱く
だろうし、丁重に接することだろう。この経験をすることで、コミュニ
ケーションの練習にもなる。部のOBにもコーヒーを奢ってもらったし、
俺も後輩たちにメシを奢ったこともあった。

施設の場合、対人アレルギーにも似た対人面の過敏性を抱く人が多いと
経験上感じてしまう。

施設側も卒業生だからマルナゲドーン!じゃなくて、利用者に貴重な
コミュニケーション訓練の場として職員も場合によっては中に入ることも
行うべきである。

卒業生もさびしいんですよ。勝手が違うところで施設よりも大変なことを
やるわけですもの。仕事やりーの、人間関係うまくやりーのってのもまさに
マルチタスクじゃありゃーせんか。

交流が難しいなら、一度ボランティア講師としてグループワークで少し
話をしてもらえばいいんですよ。卒業生も話を聞いてくれたことで自分に
自信を少しでもつけることができるし、利用者も就労への疑問点などを
解消できる契機を見つけられるかもしれない。

職場見学をしたいのであれば、施設長に電話で交渉してもらってやれば
いい。問題は職場が納得するかどうかだから。利用者にとって必要なのは
施設外の環境に触れること。外の世界に触れさせないのはサナトリウム
刑務所なんかとかわらなくなる、

閉鎖的かつ限定的な人間関係という檻の中でもがいていては、コミュニ
ケーション能力は本当に落ちます。内弁慶就活生のいっちょあがりに
なってしまう。最初は自信なくてもいいから、一度は施設外の環境に
身を置くことをお勧めします。

  • 福祉と資本主義の両立について限界を知る

福祉施設が営利を求めていると、お金は入るけれども弱者に熾烈な環境を
生み出すことになります。

福祉と資本主義と両立することを目指してしまうと、リンゲルマン効果が
生じてしまい、職員と優等生型利用者にサボった奴らの仕事が回り負担増と
なります。サボる奴らは体調の不安定さの場合もあるし、自暴自棄でやって
られなくなってサボる可能性もあります。

これらの両立は無理だと悟っている職員や利用者なら、口に出さずとも
違和感として胸に抱えているのではないでしょうか。
俺が見る限り、そんな施設は虻蜂取らずに終わる場合が多い。

本気で印刷業に参入するのなら、ソフト(人材等)とハード(設備面)を
整え、かつ市場調査をしてどう営業かけて仕事をとってくのかまでも
見積もれなかったら、「どうせ障碍者のやることだからショボいんだろ」
という寸評で終わってしまう。

福祉と資本主義は水と油に近いかもしれないが、一瞬だけ交わる部分
もあるだろう。そこが福祉施設にしかできない「ビジネスモデル」なんだ。

以上、福祉施設に苦言を呈しましたが、今後の成長に期待するが故ですので
ご理解ください。

浮き沈みが激しすぎる休日

先日、顔なじみの職員が数名、退職もしくは異動になると聞き、
昨日まで落ち込んでいました。退勤後に慌てて職員の顔を見に
行くと不意に泣けてしまいました。

甘ったれたことを言ってたしなめられたこと。
面接同行をはじめ、就職活動で苦楽を共にしてくれたこと。
似顔絵を描いては感想をもらって何度も試作したこと。
…などなど、頭の中でその時の様子が動画のように再生されました。

今日はお休みをいただき、主治医の診察を受けてきました。
フラッシュバックのつらさを聴いてもらったり、こちらの頑張りを
認めてもらえるなど溜飲は下がったかなと思います。

その一方で、スタバでワッフルを頬張りつつコーヒーをすすっては、
豚骨の濃いいラーメンをいただきました。極めつけはネカフェ併設の
カラオケ店でぼっちのまま熱唱。多分、この光景見たらドン引きだと思う。

帰りにヨドバシカメラ紀伊國屋書店でこちらを購入。

コマさん派の俺としてはジバニャン登場シーンを集めた猫ノ巻よりも
犬ノ巻が大好きなわけで。

美しい人体図鑑―多彩なイラストで初心者にもわかりやすい

美しい人体図鑑―多彩なイラストで初心者にもわかりやすい

立ち読みしてて手頃な値段でそこそこわかりやすそうだったので、
こちらも購入。自然科学が胸突き八丁どころか越えられない壁と
してそびえたっていたので、少しでもどうにかしようと思い
買うことにしました。

人間山脈ことアンドレ・ザ・ジャイアントを猪木がボディスラムで
ぶん投げたように攻略したいと考えています。

発達障害でもピアノが弾けますか?

発達障害でもピアノが弾けますか?

待ちに待ったかなしろ先生の新作登場です。

一人のピアノ教師と数々の発達障害児との出会いを経て織りなす
物語が、いろいろな問いかけとしてやってきます。

「発達障碍でも音楽ができんのか?」
発達障害だと音楽やっちゃあかんのか?」
などなど。

音楽という枠を超えて、発達障害児の感性についてのとらえ方を
考える必要もあるのではないかと、中嶋さんは自らの姿で示して
いるように感じます。

次回作にも期待したいほどの出来だと俺は思います。

四十路を過ぎて思うエトセトラ

ようやく家のPCが新調されました…。

って言っても中古のNEC製だしOSはWin7だからね。
強制インストかけてくるMackroSoftの陰謀もあるから
まだまだ安心はできません。

四十路を過ぎて思うのは「勝ち組」や「逃げ毒老害」に
マウンティングされる側に見事に回ってしまったという
ことですね。

いくら自己責任とはいえ、どうあがいても勝てない出来
レースでメチャクチャな斤量を課せられて「おいテメェ
健常者と同じ速さで走れ!」と脅されてるようなもの。

結局、就労移行支援施設も就職させたら「はいそれまでヨ」
と言わんばかりになるわけでありまして。職場のいろいろな
ことを気軽に相談できるようになるまでに定着支援が必要
だというのに理由つけて断られるのもなぁ。それだったら、
「これからは自分の力でやってみて下さい」と言われた
方がまだいいわ。

子供をダメにする四つの「過」

俺が経験して悟ったのは、子供をダメにする行動は共通して
「過」の文字がついているということです。

  • 過保護

子供は自由に甘えられるとわかるとめちゃくちゃ甘えるもの。
しかし、子供時代に大人顔負けの洞察力で生きてしまうと
大人になってから依存となって現れます。

子供時代は過保護にしていても、個人差はあれど大人に
なる前に自立的な行動をとるものです。親が「ナマイキ」
「イロケヅキヤガッテ」などというから子供は頑なになるし、
猜疑心などを持ったまま大人になります。

  • 過干渉

過保護が「子供が望むことを親がする行為」ならば、過干渉は
その正反対です。むしろ、親が望み子供が拒否することを
さもありなんとやってのけるのです。

子供の自立はありがたくない。むしろ、言うことを聞いてくれる
子供時代のままでいてほしいという荒唐無稽な要求を子供に
突きつけてしまいます。

その典型が「先回り不安症な親」などです。
子供が失敗するのを見てられないから、親は叱咤激励している
つもりでも、子供からしてみれば「罵倒されている」などと
認識してしまって当然です。

  • 過大評価

「アナタはやればできるのよ!」「あの子ができてお前にできない
ということはない!」などというセリフを臆面もなく吐いてしまう
親は本当に多い。俺の親もそうです。

本人は自分の目標を決めて取り組んで失敗したとしても、それに
ケリつけて次のステップに進もうとしているのをわざわざ未練
がましく「ここまでやったのに!どうして諦めるの!」と激しく
責め立てるわけです。

  • 過小評価

「お前みたいな奴になれるか!」「お前にできたらほかの奴は苦労
しねぇよ!」などと子供の実力や能力を矮小化して考えてしまいます。

例えば、いじめられた気の小さい子供に対して「いじめなんて逆に
やりかえしてやれ!」とバカげたことを抜かす父親などですよね。

だから、俺は許せないんですよ。
親という唐獅子紋々引っさげて、世間では「子育てしてまーす」なんて
どの面下げていうんだかって思います。

子供にこれらの行動をしても平然といるような厚顔無恥ぶりだから、
彼らのサインには反応したとしても、曲解したりして大騒ぎするの
ではないでしょうか。

本日はネカフェにて

今日で入社3ヶ月達成

去年の12月2日に入社してから3ヶ月が過ぎようとしています…。皮肉にも今日は休み
なんですけど。

今日は整骨院に行き整体してもらい、お世話になってるワーカーさんと面談でいろ
いろと話したり心身の調子を整えていきました。


ネカフェにくるのはかなり久しぶりですが、家のPCがポンコツになっている以上
ブログ更新もままなりません。地元のネカフェはロースペなので、隣町まで車を
走らせることになったわけで。あいにく雪になりましたが、吹雪でも出て歩く
やつがいるのが北海道。

明日から4ヶ月目に入りますが、また新しい日常が始まるんだなと気を引き締めて
いこうと考えています。

コマさん愛ゆえに

バスターズはWIFI環境の欠如により断念しましたが、妖怪三国志の発売前特典に
つられてヨドバシドットコムで予約。コマさん孫策のマスコット付となれば見逃
しちゃいかんなぁ。

なぜコマさんが小覇王と疑問だが、コマじろうが孫権ってのも重要なキャラに
なってるのはコマさんファンとしてはうれしいわ。となると…次回は「コマ
父ちゃん孫堅」って出てくるのかなぁ。

今年こそぜひ豊洲のヨロズマートでコマさんグッズを買いたいね。
特にコマさんのほっぺあたりはほしいわ~。

ちなみに妖怪三国志の予約特典は店ごとにビミョーに違うという情報も
あります。お確かめを!

1614日の通所を終えて

今日で施設を卒業することになりました。就職内定に加え、施設側の事務処理上、今月末で終わりです。就労移行支援・就労継続支援を含め、約1600日という日数ですが、今にしては短く感じています。今日までたくさんの人といろいろなことがありました。齟齬や摩擦もあった一方で、笑顔や元気もそれ以上にもらいました。学んだことの中でもっとも印象に残っているのは、人間関係の距離感でした。苦手な人がいてもいい、ただし相手にも俺を苦手とする感情を認めようという受容がなかなかできなかった。つい最近になってやっと少しずつできるようになったわけで。

長い間ゆえに、支援者も異動や退職で交代が相次ぎました。お互いに悩み迷いながらも、卒業という形にこぎつけられてよかったと思っています。施設のみなさん、本当にお世話になりました。

過去は変えられなくても

俺の特性として、フラッシュバックというものもあります。これを認めるのに、30年間もかかりました。心のエネルギー消費が激しいために、いやな出来事に一度目が向いてしまうと、似ているものや人を攻撃してしまう。シカだと思って人間を誤射するハンターのように。

確かに俺の過去はみじめで汚辱にまみれたものだし、それをどんなに泣きわめいても変えられない。だからといって、それを判断の基準にしてしまっては、自分の未来がさまざまな奴らに乗っ取られてしまう。想像上の毒野郎どものみならず、実際に引き寄せられた毒野郎どもにね。

俺は現在の行動を変えることくらいはできると思って取り組むことにしたんです。「現在の行動いかんで未来は変わる」と。今やるべきことに丁寧に取り組み、今の自分を大切にする。その逆をやってしまうと、自分が周囲から粗末に扱われ、常に攻撃的に成らざるをえない。このことも施設で教わりました。

人間関係においては、変わっていくものと考え、変化を受け止められなくても認められるようにする。つい最近の自分はそんな気持ちの持ちようを求められましたが、少しはできたかもしれません。新しい職場では、人間関係で悩みすぎないように取り組んでいきたいです。

半年くらいぶりの更新

記事を書いてから半年近くもほったらかしでした。すみません。今年の春あたりから目まぐるしい変化についていけず、10月に入ると心身共に悲鳴を上げていました。今年は次の理由で「変」の一文字に尽きるかと思います。

うれしい変化

内閣府主催「心の輪を広げる体験作文」で昨年秋に応募したものが北海道知事賞に選ばれ、長年お世話になっているワーカーさんと市長に表敬訪問を行いました。俺のことで新聞記事になったのは初めてかもしれません。

さらに今年から始まった出張座談会のメンバーとして、他の施設まで出かけて他のメンバーとトークしました。出先の利用者さんたちから興味深い反応を得る一方で、学んだこともおおかったのではないかと思います。

年の暮れも近いという時に、障碍者雇用として某店舗でパート社員として勤務することになりました。座談会担当者にはその旨をお伝えして最終回は他の方に入っていただくようお願いしました。

心身にきつい変化

施設長が転勤や退職でたびたび変わり、さらに職員も入れ替わりがあることに伴い、施設にも変化の波が押し寄せました。本部側の後出しじゃんけんで新しい決まりごとが次々増えていくので、俺もたびたびパニックに陥りました。さらにNHK障害福祉賞応募作品が選外になったこともあり、苦々しい思いもしました。

本当は施設に在籍したまま、定職に就くための再就職活動をしようと思いましたが、「法律で決まっているためそれは無理です」と施設長に言われ断念しました。

こういう出来事があるとますます施設にいにくいし、施設を出ようと決めました。母親にも「あんたが5年就活してもパソコンを使った仕事に就けなかったじゃないか!」と渋い顔をされる上に、入社準備などで余計に神経質になっているところで過干渉をしてくるのには耐えられんかった。

俺の環境がストレスフルになるにつれて、調子を崩していきました。採用の連絡はいただいても、一週間たっても面通しの案内がこない。昨日、先方と連絡を取って日程調整できたので、ひとまず安心しました。まだ、本部と雇用契約書を交わしてないので、心から安心はできませんが。

自立への道半ば

俺は社会復帰へのスタートラインに立てたとしか考えていません。今後は自分に与えられた仕事にひたむきに取り組み、やがては自立した生活を送り、今までできなかったことを少しずつやっていきたいです。65歳まで働くといってもあと23年あります。この時間を少しずつ充実したものにしていくつもりです。

俺が自立できたとしても通過点でしかありません。過干渉な親の支配から脱してどう自我を確立するかも課題になるでしょう。