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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

短い夏が始まって

先週末は障害者関連のイベントに出席して、かなり忙殺されました。MOS対策講座もはじまり何とか頑張っていましたが、心身ともにきつさを感じながらもようやくこなせました。

先々週にイチゴの農作業実習に赴くと、短い夏が始まった実感がしましたが、朝になるとまだまだ肌寒さもある日が多かったわけで。

低い自己評価と厳しい自己責任論のアンビバレント

最近、就活自殺という言葉を目にするようになりました。いよいよ、日本でも就活を苦にして自殺するようなことが起きてしまったのかと内心落胆しました。

一昔前はいじめ自殺や過労死という言葉が多かったのに、今では就活自殺も増えてきているのかなという実感もあります。

心理学者のクレッチマーは、うつ病などになりやすい性格を「メランコリー親和型」と位置づけましたが、先般説明した自殺者はそういった性格もあるのかもしれません。

就活自殺をした人たちの弁護をさせてもらえば、彼らは甘ったれてるわけじゃないんです。

むしろ、自分の進路をどうにかしようと動いているし、マジメに物事に取り組んでいるはずです。低い自己評価と、自他ともに厳しい自己責任論のアンビバレントさで疲れ果ててしまっていると言った方が正確だと思いますよ。それだけ自己矛盾した心理を抱えて、綱渡りをやっているようなものです。

そうでなければ、中途半端に就活をやって「ダメでしたぁ」とヘラヘラして、役所のケースワーカーの前では神妙な顔つきで無能力者を擬態して、生活保護を受けようとするでしょう。

コーチングの本で見たことばですが、「人は称賛を食って生きている」というのに我が意を得たりと感じました。その前提となるのが、「感情の肯定」というものです。

自分がお世話になっているワーカーさんの仕事の軸になっているもので、「相手の言動は否定しても、相手自身を肯定する」という姿勢はまさしくそうだなと思いました。

「就活であなたがこう考えるのはよくないことだけど、負けずに頑張るあなたって素敵!」と言えば、就活で後ろ向きになるのを窘めつつ、相手自身を肯定する姿勢になるわけです。

「他の奴は就職できてるのに、お前が出来ないなんて馬鹿じゃないのか!」と言ってしまえば、相手の失敗を俎上に上げるだけではなく、相手自身の否定になります。こんなことばを吐く大人が多い中で、自己評価を高くしろというのは無理な注文です。かつ、「お前が就職できないのは、お前のせいだ!」というのは、暴論になります。正論も場を弁えなければ、暴論でしかないという一例です。

せめて低い自己評価が高すぎない程度にまで上げられるように、手を差し伸べてほしいと切に願っています。

役割を持つことの大切さ

麻雀で無敗の伝説を誇る桜井章一さんに感動して、ある中学校の剣道部顧問が話を伺ったそうです。そこで、剣道部部員全員に役割を与えるようアドバイスをしたのです。実際にアドバイス通りにしてみると、部員一人一人が生き生きとその役割をこなすようになったと言います。

俺は中学時代にバスケットボール部にいましたが、顧問から役割と言ってもただカメラ係というだけで、練習もサイドゴールリングに向かってシュートするしかやらせてもらえませんでした。自分も当時、まだ発達障害に気づいていなくて同じことを延々と繰り返していましたが、今にして思えば若かったし愚かだったと思います。

その顧問は、役割を理解するまでその必要性を説明して、少しでも褒めるべきだったと俺は思います。勝利至上主義のトップほど、自分の能力を過信して、目立たない人間をないがしろにするものです。

機動戦士ガンダムを題材にしたビジネス書より

機動戦士ガンダムブライト・ノア大尉が成功した原因は、クルーに役割を与えたことだとされています。サイド3にいたネクラでメカいじりの好きな少年・アムロを、伝説の連邦軍・エースパイロットにまで育て上げたのは、彼がガンダムとワンセットで役割を与えたことも奏功しているでしょう。

アムロの先輩・カイは、アムロの目覚ましい成長ぶりに腐ってしまいますが、生活のためにジオン軍のスパイをしていた愛しのミハルの死、セイラ・マスの声掛けによって彼も役割を理解していくのです。

読んでいたビジネス書では、ブライトが行った役割分担の重要性を紹介していました。

さらに役割分担した上で、組織での共通の目標を見つけ、その達成にむけて努力を惜しまないことも奏功したのかもしれません。

人には人の役割がある

ある就労継続支援事業所の代表が、ある利用者に「ねぇ、トイレ掃除しかやることのない俺ってそんなに役立たずなのかな?」と聞かれて彼はこう言いました。

「いや、そんなことないよ。だってさ、あなたが掃除してくれることで、僕が気持ちよくトイレを使えるんだよ」

なるほどと思いました。FTISLANDの「ハルカ」という曲でも「いつだって誰かが誰か支えてんだ」という一節がありますが、まさにそれなんですよね。

ハロワの心無い職員や、応募先の会社から否定されただけで、自分を役立たずと言って、自分の価値を下げてしまうのは実に惜しい。ふさわしい役割が見つかっていないから、能力を発揮できていないだけなんです。

それはなかなか見つけにくいものですが、少しでも自分にあった役割を見つけていくのも大切なことなのかもしれません。

人の評価で自分自身の価値が決まってしまうのなら、そんな人生クソクラエだと俺は思います。臆病者の自分ですが、いっそのことダメでも生きている自分を、それなりに評価してやりたいと考えています。