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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

人の感情を扱う立場だからこそ

接客業や教育職を「感情労働」と言うこともありますが、それは相手の感情のみならず、自分の感情も扱うからです。

ゆえに、人の感情を扱う立場であれば、自分の一挙手一投足が見られているということを是非理解してほしいと思います。

例えば、ドアの開け閉めにしても、ドタンバタンとするのでは、職員や利用者だけではなく、来客にもいい印象は与えません。たとえその人のクセだと言っても、「この人はお天気屋で怖いなぁ」と誤解させてしまうのは逆に損をしているのではないでしょうか。

さらに、挨拶をきちんと返さなかったりするのもよくありませんが、「この人、自分の好き嫌いで態度を変えるんだな」と一度でも思わせてしまうと、誤解を解くのに時間と労力が余計にかかります。

感情労働においては、コミュニケーション能力が物を言いますが、人によって巧拙が出やすい部分でもあると思います。

福祉の専門職では利用者との距離をうまくとりつつ、極力平等に出来る人もいますが、逆に一度でも問題を起こした利用者を容赦なくぶった切って、イエスマンだけで固めてしまう人もいます。

ましてや障害者の社会復帰を支援していく施設の職員なら、後者のような人は絶対に襟を正すべきでしょう。なぜなら、自分がやった失敗をリカバリーしていくことが大切なのに、一度の失敗で克服できないトラウマを植え付けて、社会復帰ができなくなってしまっては本末転倒だからです。

あと、利用者の小さなことでもいいから、触れてもらえるとありがたいですね。例えば、就職試験に落ちたという連絡があったら、「今回は気の毒でしたね。私も方法を考えるのでまた挑戦しませんか?」という一言だけでもあれば、「差別されている」と思うことはなくなりますよ。

「いい大人だから、利用者の良心が大切だ」と言うのは簡単です。中には、病気や障害でうまくコミュニケーションがとれなかったりする人もいるから、パソコンの音楽の音がうるさければ言えない人もいて当然なんです。

その反面、自分の障害などで精いっぱいで、相手の状況を忖度できない人間もいるのも事実です。だからこそ、職員の力が必要だったりするのに、傍観するというのはちょっと違う気はします。

問題はない方がいいに決まっています。しかし、どんなに予防策を講じたとしても問題が起こってしまうのは事実ではないでしょうか?問題を解決するのではなく、回避に持っていこうとするから、一方の人間だけが得をすると言う感情が出てきてしまうと思います。

自分の感情を軽く扱われたという感覚に陥ってしまいますし、最後には「何も期待しないし、何も感じないようにしよう」と考えるようになり、自分の感覚が鈍麻していくのです。人の機微にも気づけないし、余計にネガティブなオーラは伝播しますから、本当に悪い傾向と言えます。

感情を認める事

昔の日本には、「沈黙は金、雄弁は銀」などと言われ、意見をおおっぴらに言うことさえはばかられた時代もありました。

その時代に育ってきた人たちが経営者なり管理職になると、意見を言う人間が許せないのは当然なんです。しかも、相手が若ければ若いほどだし、下の地位になればなるほどですよ。

ガミガミ言われて育った人が犯す間違いは、「自分もけちょんけちょんに怒鳴られて育ったから、目下のものはそれ以上怒鳴られて当然だ」という思い込みです。

もちろん、自分の感情はまず認めるべきですし、相手の感情も同様に認めなくてはならないと思います。自分も短気ですのでまだうまくはできませんが、相手の感情を考えると、たまに「ああ、この人ってこんなとこが子供っぽいよな」と呆れたりすることもあります。

意見を言えない人にも、もちろん意見はあるわけだし、その思いを意見を言える人が汲んであげられればと考えたりもします。たいてい、そういう人に限って猛禽類みたいに、意見の言えない人をはねのけてでも、ファビョったりするわけです。裏を返せば「私は寂しいの!」という意思表示だし、赤ちゃんのミルクを求める大泣きと一緒のような気もします。

先般述べたような専門職の方も、どこか根っこに充足できなかった欲求が残っていて、自分が心地よい環境を求めてしまうのではないかと思います。

自分も反省しきりですが、働くようになったら、自分だけが心地よく働ける環境はまずないと考えるようにしています。今はえこひいきされても動じないメンタルの訓練と思うことにします。本当はあまりいい気持ちはしませんが。