Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

批判とは何か?

先日、自分が腹立ちまぎれに利用者の許せない所を指摘してしまったために、職員2人がかりで説教された挙句、「あなたが誰かのことを尋ねるだけでも批判」「愚痴は聞くけど批判は聞かない」「批判するな」「人のイイトコサガシをしよう」などと一方的に話を打ち切られて、無期懲役を受けたかのような気分になりました。もう、この方々には何を言っても、俺が悪いように曲解されるのだなと思い知らされました。

俺は発達障碍者故に、言葉尻が気になること*1が多いので、ググレカスと言われる前に、早速「批判とは」でググってみましたよ。(ていうか、Yahoo!なのでヤフって見ましたってか)まず、興味深いブログの中から引用させて頂くことにします。次に述べるブログでは、批判と中傷の違いを述べています。

批判と中傷の違いを、きちんと区別する。 | 生きる勇気が出る30の言葉 | HappyLifeStyle

批判とは、物事の真偽や善悪を根拠にして、厳しい意見を言うことを言います。
(生きる勇気が出る30の言葉)

へー、なるほど。…って、「職員もやってるやないかい!」と思わず言いたくもなりました。俺の行動の良しあしを根拠に厳しい意見を言ってる時点で、批判になりますわね。俺が言葉に疎い余りに、この矛盾に気づけなかったとは実に情けない限り…。

今一度、批判と中傷の区別をしたいところです。
自分が口にする言葉を振り返ってみましょう。
口にする悪口に、根拠があるでしょうか。
批判のつもりが、中傷になっていませんか。
批判は、状況によっては役立ちますが、中傷はどのような状況でも、役立ちません。
人生において、批判はあっていいですが、中傷は一切必要ないのです。
(同ブログ)

この締めの文章も印象的ですね。悪口には根拠がないものですから、批判には成りえません。文中にもありますが、批判が役立つのは状況によりけりなんです。批判を極力排除した場所も必要かもしれませんが、どんなに頑張ったところで、ことばの内容が批判であれば、アサーティブな言い方にしたところで、批判には変わりないのです。いずれにせよ、自分の出した言葉で人がどういった影響を受けているかを考えるべきではありますが。

はてなダイアリーでは、批判と非難の違いを分かりやすく説明してくれている記事がありました。

批判と非難。 - No Title

批判と非難は違います。批判とは、ある物事の良し悪しを評価し、良くないところがあればこれを指摘することを言います。これに対して、非難とは、ある物事の良くないところを責めて咎めることを言います。批判も非難も、ダメ出しをすることを言うので、一見、何にも変わらないようにも思えます。ですが、批判は、本来、「良し悪しを評価」することをその本命とするもので、良いところを誉めて残すことも含意します。これに対して、非難は、あくまでも、良くないところがあるのを前提として、これを「責めて咎める」ことを本命とするもので、良いところの存在を予定しない言葉です。よって、良いところを見るかどうかという点で、批判と非難は違うのです。
(n1550さんのダイアリー)

まぁ、批判は「良さを認めた上での、改善策を出すダメだし」で、非難は「改善策も何もない単なるあら探し」というところなんでしょうね。行動の良くない点を指摘した挙句、「イイトコサガシをして下さいね」と改善策(?)を出す一方で、俺の行動のよさを認めないというのは、一体どうなるんでしょう?批判?非難?そんなグレーゾーンにかこつけて言いたい放題、言いっぱなしで済ませる職員はどうかと思います。

このブログの方は、読者への「批判」を展開してきましたが、いい改善策を提案して記事を締めくくっています。

他人の「品格」を指摘するのも大切ですが、自分の「品格」を育む姿勢も同時に忘れないようにしたいものです。(同ダイアリー)

これには、はっとさせられました。人に指摘する前に、自分は指摘すべき事項をできているかという点も振り返る余地はありそうですね。

最後に、昨夜、古くからの友人・あつぽんから受けた「批判」を紹介してしめます。

「確かに、「あんた嫌いオーラ」は出しちゃいけないのかもしれないけれど、俺だってさすがに(相手の)イイトコサガシができない時だってあるし。まぁ、Issueは頑張ってきたんだから、あんまりこだわるなよ」

彼のことばは本当にありがたいし、元気が出ます。俺の行動で悪い所があれば指摘するが、いいところは割と褒めてくれたりします。それが、友人関係の長続きする秘訣なのかもしれません。

パワーゲームに依拠せざるを得ない集団がほとんどであるが…。

あくまでも自分の経験談ですが、ほとんどの組織がパワーゲームによって集団を維持せざるを得ないということです。

自由闊達で上下関係もほとんどないという集団でも、パワーゲームが生じる場合があります。就労支援の福祉施設なら尚更、パワーゲームが起きやすいです。施設長から始まり、職員、最大派閥のボス的利用者、その他の利用者…というように階層的な支配がなされるのです。前の施設長の時が正にそれに近かったです。そいつの口から「パワーゲームがおきてしまうとぉ~いけないからぁ~」という言葉が出たので、正直言ってメリコミパンチを見舞ってやりたかったです。

強いて言えば、組織というものは、パワーゲームからは切り離せないということになるのでしょうか。本当に悲しい現実ではありますが。ただし、パワーゲームを集団での討論による平和的な統制に変えることは可能性として残してもいいと考えています。まぁ、相手も人間ですから、いつ何時豹変するかはわかりませんが、そのためにも合意が得られやすいルール作りはもちろん必要であると思います。集団が無秩序だと、まさしく「アナーキーな国家」と一緒になってしまいますので…。

リーダーがいても統制が取れないのであれば、「ねじれ国会」「学級崩壊のクラス」というように状況は変わっていくんですね。はぁ…ため息が出るわ。

*1:そういうのを揚げ足取りとも言うのでしょうが