Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

ゲーセン寄り道ばれるのが嫌で男の子を突き落とすのか?

今日、都内の女子中学生がゲーセンに寄ったのが母にばれるのが嫌だという
理由でマンションの屋上から男の子を突き落とし逮捕となったそうな。



つーか、大人も含めて「痛み」という感情が鈍磨している気がしてならない。
ゲームやネットの仮想現実も一因かもしれないが、もうちっと痛みというのに
対峙する機会を与えろと俺は言いたい。




チンピラ大人にしろババアにしろ、自己愛過剰で人の痛みを理解しようとする
姿勢が見えない。そう思うのは俺だけだろうか?



自分はいじめやいじめられの経験もそれなりにしてきたし、少しは痛みに
ついては理解できる。突然の頭痛に四十肩。ひ弱な自分もいけないだろうが、
あんたに根性が足りないと言われると非常に腹が立つ。



「だったら、根性で骨折を治してみやがれ!」と言いたくなる。



骨折にしても素人判断では危険な状態を招きかねない。
いびつに骨がくっついても困るし、本人のためにならない。


だから「あんたのために言っているのよ」という言葉を繰り返し使う人は
信用できないのである。




わき道に反れてすみません。ゲーセンで遊んだこともないくせに、ごたく
ならべて説教たれるなと言いたいですね。特に「教育的なミナサマ」には。



夜回り先生の方になぜ不良少年らは心を開くのかということを考えてほしい。
水谷氏はまず頭ごなしに否定しないからだ。



まず「受容」してみるということを実践しているのだ。教育ママゴン・パパドゥ
犯しやすい間違いの一つかも知れない。


無論、「してはならぬこと」をみっちり教えておくのは大事ではあるが。
これが大前提である。水谷氏のような先生や大人が身近にいれば、今回のような
悲劇は起こらなかったのではと悔やんでいる。