Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

自分の心のアニキ分に電話したら

年賀状をパラパラとめくってみると、結婚したばかりのアニキ分の
ものがあった。電話してみたら、奥さんの声だった。
自分はかつて教師時代、お世話になっていろいろとやさしくしてもらった
ものだから、つい気になって電話しましたと話したら、優しい対応を
していただけた。



部活の指導で出勤しているとのことで、ご在宅してなかったが、
にもかかわらず、奥さんには話を聞いていただき本当に感謝してます。
当時の出来事を話している内に、知らずに涙がポロポロとこぼれて
きて、自分でもつらいもんを奥底にしまいこんでいたんだなと
痛感しました。



当のアニキ分もいろいろと心痛めて帰ってこられることもあるそうで、
電話越しに難儀だなぁと感じました。ましてや、学校の体質も大きい
だけに、先生一人の力では、学校は変われません。企業であれば
援護射撃をするのは至極当然なことなんですが、現代社会では減点法が
採用されているだけに、みんなで足の引っ張り合いをしなくてはいけないと
なると非常に悲しくてなりません。



この方には、自分が教生時代の頃からお世話になっているんです。
俺が辞める時も、別れの一献で嫌な顔一つせず愚痴をうんうんと
聞いてくれて本当にありがたいと思っています。
多分、彼との出会いがなければ、今の自分はいません。
漫然と教員採用試験を受けて、落ちてから今よりひどいフリーター
生活を余儀なくされていたのかもしれません。



生徒からの信頼も厚く、近寄りやすい存在であったことには間違いないと
思います。自分が生徒のとき、こういった先生に出会っていたら、
また違う人生になったかもしれません。
冠二郎の「俺が天下の脳ビタくん」の一節で「人生はゲームみたいなものさ
あたりもあればはずれもあるよ」というのを聞いていて、しみじみと
アニキ分との出会いは天の配剤だったのだと思います。



社交辞令かもしれませんが、奥さんからは主人も交えてお食事に行きませんかと
言われたので快諾しました。ダメな弟分としてはこれほどうれしいことはない。
アポを入れた上で、はせ参じることにしましょうか。