教育界も終わりか?
学習塾で掛け持ちバイトする教員が判明したと愛知県教育委員会が報じていた。
一体何が不満なんだろうね?民間企業以上に優遇され、定年後はキャリアを
生かせるのにね。がっかりだ。
大学から正式に講義依頼を受ける場合なら、別である。
現に高校教員と掛け持ちで非常勤講師として教壇に立つ人たちもいる。
彼らは学校に話を通しているからである。
どうしてもやりたいのなら、まず筋を通せと自分はいいたい。
公立高校教員という地位がありながら、コソコソとバイトする根性が意地汚い。
家計がどうしてもやりくりできないなら、テメェがしっかり稼ぐか、嫁さんに
働きに行かせろ。派遣やパートは雇用の流動性をもたらしたので、その辺は
クチさえ見つかれば何とかなる。ただ、俺のように定職を欲するものには
ムナクソが悪い状況ではあるが。
点数がよければそれでいいというのは、本末転倒である。
子供が自分の道を切り開く手助けをするのが、教師であり親ではないのか。
自分は何かを身につけるということの難しさを、業務担当の人から教わった。
彼は俺から見れば、オヤジみたいな存在でもあった。それでいて、仕事を
叩き込む職人的気質もある。彼の背中を見て、何かを教えることの難しさと
大切さを改めて学んだ。ことばは多すぎず、自ら見本を見せる。当たり前の
ことかもしれないが、自分の中で何か変わった気がした。
ニートが今批判のやぶすまにあっているが、俺は彼らを非難しない。
むしろ、何か一つやってみて打ち込めと応援したい気持ちである。
ニート問題はいつもうっちゃられてきた。かっちり出来上がりすぎた
パラダイムの中にいるからこそ、ニートや精神疾患にかかる人は変人呼ばわり
されるのである。特に日本においては。さらに、日本文化の悪弊は「同じことを
奨励すること」である。
人生を歩むだけで個性の確立に繋がっていくのに、みんな「〜と同じでなくっちゃ」と
理想のモデルをおったてはじめる。非常に奇妙なパラドックスではないか。
カメにウサギのように早く歩けと命令するのと同じである。