Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

母校で食わされた冷や飯

先日、俺は母校で冷や飯を食わされてきたと言ったが、説明していきます。



母校で部活動や授業を任せてもらったのには、恩義を感じている。
しかし、実際は専任教諭への階段すら上らせてもらえなかったし、自分を生徒時代から
知る先生は俺をいつまでも「生徒のIssue」のままでしか見ていなかったのだ。



中には、俺を一人の教師としてだけではなく、一人の人間として向き合ってくれた先生
もいた。だからこそ、その先生方には今でも感謝している。



学級崩壊を起こしたときも孤軍奮闘だった。問題生徒を呼び出しては指導するものの、
なかなか彼らの心には届かなかった。



さらに、恩師でもあった校長は俺に対して「ほかの職業を考えたことがないの?」と
すら言ってきた。事務長や教頭にも呼び出しを食らって、しっかりしろとコンコンと
説教されたこともあった。



前にも話したが、ほかの同僚講師が専任に推挙され、自分は取り残されるという結末
になり、自分は教師を退職した。



戦国時代で言えば、自分は小姓以下の侍か、冷や飯食い、毒見役というところだった。
こんな自分の状況を端で見ていたのは、先生以外では掃除のおばちゃんだけだった。



母校にもかかわらず、周囲の人間を味方にできなかったのは、自分の不徳の致す所と
思っているが、俺の心に深く深く刻まれた古傷として残っている。



今回、面接を受けた高校では、場合によってはクラスや部活動を持ってもらいますと
言われ、正直不安だった。自分は今まで脇役で黒子たるべしと生きてきた身分だから
である。反面、試されている自分がうれしくもあった。



心に残った傷跡はもう消えない。しかし、これからどう吹っ切ってやっていくかを
考えたい。正直、5年前の亡霊にはとらわれたくないんだ。一度、社会の片隅で惨めに
泥臭くも生きてきた自分の真骨頂をどの道を行こうと見せたい。