Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

Japanese univ. students ---- A bunch of fuckin' nerds

これは自分も含めたアイロニーである。養老さんはかつてピーター・バラカンさんとの
対談で「日本人の常識って雑学ですよね」とバラカンさんに言われなるほどと思ったらしい。
これには自分も諸手を挙げて賛成した。いい例が、日本の受験制度である。
下手をすれば中国の官吏任用試験(現在の公務員試験)、科挙と同じである。
例え、大学に入っても、最低限の勉強をしなければ、ただのボンクラである。
ひどく言えば、中学や高校を出てすぐ働いている人の方がすばらしいということである。
彼らは体当たりで仕事を覚え、血肉にしているのだから。
これが「物事を理解する」ということである。自分も学校という組織を抜け出して
丁稚になったわけだが、知識だけではどうにもならないということを思い知らされた。
ホッケやイクラびんの包み方、鮭一本身の塩のなじませ方、発送伝票の処理の仕方、
確実なやり方は学校では教えてくれない。企業それぞれのやり方があって、さまざまなのだと
いうことをつくづく思った。
大学では、これに値する講義はほとんどなかったように思う。唯一、実学的だったのが、
経営管理論。カビの生えた講義禄を棒読みするような代物ではなく、実際に講義に出ている
人間が参加するような双方向の講義だったと記憶している。5人くらいでチームを作り、
折り紙で船を折るという過程を会社運営のシミュレーションにするというものだった。
正直、当時はびっくりしたが、今思えば血肉になっているんだなぁとはじめてしった。
さて、このような講義を一度でもできる先生は大学に何人いるんだろうか?
合格した受験生は大学生という身分が「既得権益」であるような錯覚を起こし、勉強しなくなる。
試験が近くなったらノートを借りに行く始末。俺みたいに勉強バカはいけないとはいえ、
遊びすぎてノートばかり頼るのもよくない。赤点取ってノート貸した奴のせいにするのは
もっと良くない。「もっと勉強しろや、ゴルァ」と言って闘魂注入してやるところである。
知識と経験、この2つが大事なんだなぁと今痛切に感じている。
文部科学省も大学も、勉強したい奴にもっと門戸を広げるべきだと自分は思う。