暴力でしか社会参加できない社会はマヤカシだぁ!
高齢者ニートが親を撲殺してしまう背景を斉藤環は「負けた教の信者たち」で
暴力でしか社会参加できない社会は皮肉な構造ではないかと指摘している。
この考えには俺も同感である。社会がヘンに成熟しきっていて、社会参加の
機会を高年齢・高所得層が奪っているようにも見えるのは俺だけだろうか?
こういう社会になってくると戦後の社会をバカに出来ない。
いいべべ着てても心は貧困というお粗末な社会構造が浮き彫りになってしまう。
だから、ILOにもkaroshiという借用語を作らせてしまうのだ。
確かに「ねじ一本も閉め忘れないきまじめさ」というのは日本経済の原動力に
なってきたのは間違いない。これは精神疾患の病前性格だということを
付け加えておく。一方で、優生保護法の名のもとに、ハンセン氏病などの
患者が置き去りにされてきたことも忘れてはならない。
好きで社会の片隅にいるという奴は、また別の考えをもった人かもしれない。
社会の色に染まりたくないとか、ギスギスした空気で生きたくないっていう具合に…
多分俺の想像を越えた理由があるのかもしれない。