Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

障害を受け止めつつも、天に召されたわが友

自分の友人でSOHOを軸にして、プログラミングを組んで生計を立てていた人も
いました。彼は大学時代の友人で、養護学校から入学しました。
新聞で彼の記事をみて驚いた自分は、彼に声をかけて付き合うようになりました。
母親の介助を借りながらも卒業し、自ら社長となって運営していました。
数年前、彼は風邪をこじらせて肺炎になり、そのまま若き命を落としてしまったのです。



ある時、自分の携帯電話に彼の母親からメールが入ってきましたが、内容を見て愕然と
しました。彼は肺炎でなくなってしまった…と。電話を久しぶりにかけて、話していたら
不意に涙が止まらなくなって涙声で会話したのを覚えています。一番辛いのは母親なのに、
俺は号泣してしまいました。若い命を散らし、天に召されたのは本当に悲しかったです。
多分、無職でもまだまだ窮地に立たされずに済んでいるのも彼が見守ってくれているから
かもしれません。



彼は無類のスポーツ好きでした。サッカーの話でよく盛り上がりました。
当時、俺は98年のW杯に行ったので、彼にその話をすると喜んでました。
WCCFにはまっていた時も、知らない選手を聞くと教えてくれたりして楽しかったです。
今年、コンサドーレが快進撃をしたり、ファイターズが奮闘しているのも
彼の神通力が働いているのかもしれません。(おいおい、勝手な見方かもしれんぞ)



改めて自立出来た時、彼の墓参りに行き、自らの自立を墓前で伝えるつもりです。
「障害者も努力すれば大学にいける」という意識を体現してくれた一人の男の志を
無駄にしないためにも、自分は生きていこうと思います。拡大解釈すれば、自分は
障害者と健常者のグレーゾーンです。現代社会はまだまだ障害者に不親切な社会です。
車椅子クレーン搭載車用の駐車場に一般車が止まっているのをみるとため息がでます。
長い年月をかけて、障害者への政策を練り上げていく他、ないのでしょうか?