Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

ダメ人間に生まれて

あるイタリア映画で「神様は道端の石ころ一つまでムダにはお作りに
ならなかった」と言っているらしいが、自分はウソに思えるときがある。



傲慢不遜にいつも振る舞い、一人称を「姉ちゃん」というその様には
正直虫唾が走るほどだった。



自分は確かに生まれたときから、障害に似たものをもって生まれてきた。
感情を爆発させてしまう問題行動、ロート胸と言ったものを背負って
生まれてきたことは辛かったが、仕方ないという諦めもあった。



しかし、背負ってきたものが原因で、家族で疎外感を感じることがあるのは
とても悲しかった。両親がどんなに褒めてくれても重荷になるし、何より
愛されているという実感が沸かなかった。



甘えやわがままかもしれないが、姉の傍若無人かつええかっこしいな態度を
見ていると底抜けにむかつくのである。自分が就職できないさまを常に
比較され、自分の惨めさを余計に味わうことになる。



こんな家庭の悩みなんて話したところで共感してくれる人間はいないだろう。
世間体を気にして俺と姉を比較するくらいならどうして俺を産んだのだと
毒づきたい気分にもなる。



俺は鬼子母神どもにいろいろやられてトラウマになってるのに、余計に女性への
敵愾心を募らせたらどうなると思うこともある。一部の女性に罪はないのは
わかっているが、断罪されるべきなのは男を虐げる女である。



毛むくじゃらのゴツイ男だって女性のおなかから生まれてきてるんだ。
だからと言って、女性が「今まで虐げやがって!」と親の敵の如く糾弾するのは
筋違いなのではないか?



今の自分は、生きている実感がなかなか沸かず暗澹とした気持ちである。
みにくいアヒルの子」並みに惨めだ。本当に俺は白鳥のようになれるのかと
自ら疑問符を打ちたくもなる。